2024.1.29

 

 

 

 

 

どんな気持ちで今日を迎えているんだろう


あたたかい気持ちだといいな

 

 

 

 

すきになってから6回目の誕生日。


今日をお祝いさせてくれて、ありがとう。

 

 

 

 


最近は前向きに前向きに、って自分のなかで

意識して、背中を押せるように必死だったから

すこし、ちゃんと

自分のなかの紫耀くんと向き合ってみようと思う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いまもまだ、ふと夢だったかもと思ったりして。

 

 

 

あの日からいろんな憶測と

絶対に答え合わせのこない重たい“なんで”に押しつぶされそうになって

 


いろんなひとのいろんな意見に

“あれ?わたしのみてきた紫耀くんはまぼろしだったの??”“わたしはなにをみてきたんだろう” と

自分の気持ちすら分からなくなる時期もあったりして

 


直接会ってお話してくれたあたたかいお友だちと、そしてそっとハートを押してくれるやさしいふたり側のお友だちがいてくれたから、きっと繋いでこれた

 


本当に感謝しかない、本当に本当にありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まさか、戻ってきてくれるなんてね。

 

 


いつかは、と思いながらも

気は変わってしまうことは仕方ないし、

このタイミングだからこそ、ずっと教えてくれていたしあわせな家庭への夢を追うことは自然だと思ったし、

 

 


それがまさか、ほんの1ヶ月で、

手を差し伸べてもらえるなんて。

 

 

 

夢にも思わなかった。

 

 

 

 

 

 

どんなことがあっても

わたしは紫耀くんがすきなんだって

思うタイミングはいままでもあって、

 


直近だと、

北海道をもういちどやってくれたことと、

あの日の北海道で笑ってくれたことと、

Venueでのなみだと、

そしてお休みでもよかった期間にすぐに手を差し伸べてくれたこと。

 

 

 

 

 

 

完璧に無理をしようとしてくれるひとで、

でも笑いながらも目を伏せるようになっていた

正直なひとで。

 

 

 

思いきり想いを込めて歌ったら、

涙を流すひとで。

 

 

 

インライだって、TikTokの配信だって、

無意味に誰かを傷つけないように慎重に言葉を選ぶひとで。

 

 

 

あれほどだいすきなメンバーと、

別れる決断をしたことが

いまもわたしはどうしようもなくかなしい。

 

 

 

どういう経緯であれ、きっと

5人がちゃんと考えた結果の今だと思っているから、誰か悪いとかじゃなくて、

だから

どんな想いで離れる決断をしたのかって

考えるだけで胸が張り裂けそうになる

 

 

 

あんなにだいすきだった、

あんなに守りたかった、場所。

 

 

 

 

 

 

ねぇ、どんな気持ちでバイバイっていったの。

 

 

 

 

 

 

やっぱり泣けちゃうなー

まだ泣けちゃうなー

でもすこしずつちゃんと、向き合えてる気がする

 


“ Number_i の紫耀くん ” と。

 


ふたりのいない、3人と。

 

 

 

 

 

 

 


きっと紫耀くんからは連絡できないんじゃないかなって思うから、ねぇどうか今日、彼の望む“おめでとう”がたくさん届きますようにって祈る。

 


そんなの杞憂かもしれないけれど。

 

 

 

 

 

 

 


いつだって思うよ、

 


やさしくて、強くて、まっすぐな紫耀くんがだいすき。

やさしくなくても、つよくなくても、まっすぐじゃなくても、だいすき。

 


一生懸命生きるなかで、一生懸命伝えてくれようとする芯のところがだいすきで、とても尊敬しているから。

 


どんな紫耀くんもだいすきだよ。

 

 

 

 


全肯定!でいたいと思いながらも

あーこれ叩かれちゃうなーとか瞬間瞬間思うことは実はあったりするけれど、

でも1回も、

約6年間1度も好きじゃなかった瞬間はないの、

だから、本当に好きなんだなぁって思う、

見せてくれるところしか好きになることはできないけれど、きっとぜんぶまるっとすき。

 

 

 

 

 

紫耀くんがわたしをしあわせにしてくれそうだから好きなんじゃなくて、

わたしが紫耀くんをすきでしあわせ!が正しい。

 

 

 

 

 

 

わたしは紫耀くんをすきだから

もっとやさしいひとになりたいと思うし、

おおきな愛を持ちたいと思うし、

まわりのひとに、

わたしは特に子どもたちに、たくさんの愛を伝えていきたいって思う。

 

 

 


そして思考するばかりで

下向きがちだったわたしは

紫耀くんの生き方をみて、そして身をもって伝えてくれる想いを知って、

前向きに!たのしく!自分の力でポジティブに!って思うようになった。

 


人生変えてくれたって本気で思ってる。

 

 

 

勝手に好きになったのにこんなにしあわせにしてくれて、本当にもらってばかりで。

 

 

 

“ 応援してるみんながいてくれるから ”

と思ってくれるのなら、

わたしは この好きの気持ちを何がなんでも守る。

望んでくれる限り、

ひそかに、やさしく、そして精一杯応援するからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たくさんのひとに愛される27歳になりますように

 


たくさんのひとに愛されてると実感できる27歳になりますように

 

 

 

生きててよかったぁ!って

これからが楽しみだなぁ!って

明日がキラキラした27歳になりますように

 

 

 

 

 

 

 


27歳のお誕生日おめでとう

 

 

 

生まれてきてくれて、

そこにいてくれて、

今日も好きでいさせてくれて、ありがとう、紫耀くん。

 

 

 

2023.1.29

 

特別で大切な今日の日。

伝えたい想いはね“紫耀くんなら大丈夫!”の気持ち。

見せてくれてるのはほんの一部。でもたしかに見てきたの、ちゃんと見てきた。だからわかる。この先、どんなところにいっても、何を選んでも、“紫耀くんなら大丈夫!” 大丈夫だよ、紫耀くん。だから、自由でいてね。その先で、たくさんたくさん夢を叶えてね。

 

 

紫耀くんはそんなことないって言うかもしれないけれど、紫耀くんはね、すごいひとなんだよ。

何度みても新鮮にドキドキしまうほどかっこいいから、ついかっこいいばかり口にしてしまうけれど、紫耀くんが紫耀くんだからこんなにもすきになったんだよ。いつだって相手の気持ちを考えられること。大切なひとを大切にできるところ。誰も傷つけずまわりのひとを笑顔にできるところ。暗いところに寄り添いながら明るいほうに引っ張りあげる力を持っているところ。信念にまっすぐなところ。いつだって大きな愛で救おうとしてくれるところ。こんなにもたくさんの才能があるのにひとつも驕らず、ひたすらに努力できるところ。それでいて自分だけが注目されることよりみんなで評価されることを望むところ。鋭いものが飛んでくるところにいながらも、取り繕わずそのまんまの俺、でいようとしてくれるところ。こちらが心配になるほど過酷なことも、その日の100%をやってるだけと言えてしまうところ。

 

わたしなんてね、ひとつでもネガティブな意見が飛んできたら心臓バクバクして怖くなって乱されてしまう、きっとそのツイートを消してしまう。見ず知らずの顔の見えないたまたま通り掛かった誰かであっても、傷つけてしまうことも、嫌われることも、こわい。自分を守るためにいい人であろうとしてしまう。けど、違う、紫耀くんはいつだって、まっすぐ。傷つくことを怖がらないで、ただいいひとであろうとせず、取り繕わずに向き合えるひと。なんでそんなふうに在れるのだろう。本当にすごいひとなんだよ。

 

 

どうしよう、これ永遠に話せちゃう。

 

 

ほんと奇跡みたいな人。

そのあたたかい印象を与える整った容姿は、遺伝だけじゃなくて内面から成るものでもあるんだよ。

むしろみんなを救うために、紫耀くんというひとに出会えるように、その惹きつける容姿を神様が託したんじゃないかって本気で思っちゃうくらい。

 

 

ただね、救いたがりの紫耀くんだから、アイドルをすることでたくさんのひとを笑顔にできる、その手応えはきっと確かにあって、そこに自分の意味を感じることもあっただろうからね、想像し得ない犠牲もたくさん払ってきたなかでも、きっとそこにいて、そこでしか味わえないしあわせもたくさんあったんだろうと思う。

 

 

ねぇ、紫耀くん。

もし、もしね、こころが弱ったときは思い出してね、こんなにも愛されてきたこと。いつでもしあわせをそっと願うひとがたくさんたくさんいること。どこに真実があっても、頑張ってきた軌跡は絶対に揺らがないこと。ちゃんとこんなにたくさんのひとをしあわせにしてきたこと。今までのがんばってきたものが、彼のこころに少しでも積もって、彼を強くするものになりますように。

 

 

ねぇ紫耀くん。

今日、どうかたくさん夢を見てね。

やりたいことたくさんたくさん思い描いて、キラキラした未来を夢見ていてね。

大丈夫、紫耀くんなら大丈夫。

 

 

願わくは紫耀くんの望んだ未来の先で、また手を伸ばしてくれたら、そんなしあわせなことはないなと思う。紫耀くんがちゃんと前向きに楽しもうねって教え続けてくれたから、いまは自分で幸せな未来を想像して、ちゃんと生きるよ。紫耀くんが伝えてつづけてくれた気持ち、ちゃんと届いてちゃんと残っているからね。

 

 

こんなにも、こんなにも、しあわせにしてくれて、好きでいさせてくれて、ありがとう。

 

 

こんなにたくさんのひとにしあわせを届けてくれた紫耀くんに、たくさんのたくさんのしあわせか降り注ぎますように。

 

 

だいすきな紫耀くん。

26歳、お誕生日おめでとう。

 

 

2022.1.29

 

 

好きになって4回目のお誕生日。

最近はいろんなことがあるからね、こうして今日をお祝いさせてもらえることが本当にうれしい。

 

きっと来年もその次も、そこにいてくれる限りずっとだいすきで、おめでとうを言いたくなるからそのときの想いやその1年のこと、ちゃんと残しておこうと、今年は文字にすることにした。

 

 

24歳もいろいろあったね。

まず、本当に24歳なりたて去年のお誕生日。

紫耀くんがファンの子のおめでとうの気持ちを受け取って、愛されてることをしあわせだなぁと言ってくれた日。あの、紫耀くんが自分のブログで “愛してるぜ〜” って自ら文字にしてくれちゃうくらい、ファンの想いが紫耀くんのこころの温度を上げたんだって、そんなしあわせなことない。きっとこの日はこの先もずっと思い出すだけで泣きそうになるくらいしあわせな日。

 

バレンタイン。

がんばってくださっている方々へメッセージを届けてくれた日。力強く書かれた“明るい未来へ”。紫耀くんらしい前向きで光をさしてくれるような言葉。と同時に、全ジャニーズが会すなか、紫耀くんの人気に衝撃を受けた。そりゃわたしのなかではずっと世界一で全部全部いちばんだけど、それは誰のファンの方々もみんなそう思ってることだからこうして数字になったことでとてつもない人を好きになったんだって、分かってはいたけれどはじめて実感した。彼自身はきっとそういう数値で何かを満たす人じゃないと思うけれど、彼の背負うものの大きさに目眩がした。いつだって変わらずそこにいながら寄り添って励ましてくれる彼に、何を返せるだろうと考えてもどうすることもできなくて、そこに立ち続けてくれる気持ちを想像することすら難しくて。もどかしかった。そこからのあの曲。

 

3月。

Magic Touch 序章。“みんなが見れる日が来ると思うとワクワクが止まりません。どうしよう笑” “早く見てほしい〜!” って思わず匂わせちゃうくらいの。振り返ってもにやけちゃう。紫耀くんがファンにみてほしくてワクワクしてることも嬉しいし、紫耀くんのやりたいことが実現出来る環境にいることも嬉しいし、紫耀くんがそこで紫耀くん自身のやりたいことを叶えているんだなぁと思うとしあわせすぎて泣きたくなる。死ぬなよと言ってくれる想いも、コンサートでファンを見つめるあの優しいお顔も、安心させようと紡いでくれる言葉も、アイドルであることも大切にしてくれてるの、とっても伝わるから、伝わるからね、選んでくれた“お仕事”であるアイドルをするなかで、どうかこの先もあんなふうに紫耀くん自身がわくわくすることがたくさんたくさんあるといいなって願う。

エゴサできないのは少し不安があるから” “みんなが求めてるものと違いすぎてたらどうしようとか毎日考えちゃいます” “どうか僕たちの背中を押してください”“ついてきてください” “みんなが俺たちのファンと誰に言っても胸を張れるグループに頑張ってなるから” 真剣に伝えてくれたブログ。はじめてYouTubeを再生回数のために回した。本当にひたすら回した。1日100万回の壁に泣いた、悔しかった。と今でも思うけれど、実際紫耀くんにはどんなふうに届いたんだろう。世間の反応やメンバーの想い、近いところの周囲の評価も全部含めて、紫耀くんにとって彼らにとってMagic Touchが前向きでポジティブな経験として刻まれていたらいいなぁ。

 

それから。

玄樹くんのこと。今でもあの動画はあの1回しか見ていないけれど、脳裏に焼き付いてる。ファンを、玄樹くんを救おうと明るく振る舞う優しい優しい紫耀くんと、ふとやり切れないような、初めて見るお顔してた紫耀くん。お休みしてた期間、彼らから玄樹くんへの重たくて優しいまっすぐなあたたかさをたくさん感じてきたあの期間は特別で、こちらには見えないところでいろんないろんなことがあったんだろうと思うけれど、今も紫耀くんにとって玄樹くんはたいせつなひとなんだろうと思う。きっといろんな綺麗だけじゃない言葉も知っているだろうなかで、暗にお互い誕生日を祝い合ったの、かっこいいなと思った。大切なものはとことん大切にするところ。だいすきなところ。

 

5月。SNS解禁。

ずっと恐れていた世界だったのに嬉しくて震えた。今思うと何をあんなにも恐れていたのだろう。解禁されたから気づいたのかもしれないけれど、彼らにとって、売る側にとってきっと今までもずっとSNSはそばにあって大切なデータであって意見であって、本人が見ずとも情報として本人たちに届けられていたのだろうと思うから、今まで何も言わずただ受けるだけだったものが、彼らが彼らの伝えたいものを発信できるようになったことはとても大きいと思う。なによりインスタライブは嬉しい。やりたいからやったという11.8のインスタライブ、本当に本当にうれしかったなぁ……

 

メッシュっぽい茶髪から会長で金髪になって銀になって樹山先生で黒になって、そこから伸ばしてパーマ。8.9の衝撃は今でも覚えてる。2度見ならず5度見はした。かっこよすぎて。そして痩せすぎていて。痩せると心配させちゃうから、と教えてくれた言葉が残っていたから心配しないようにしてたけど、めちゃくちゃ心配だった。それでも、逃げ出したいほど忙しかったあの時期の雑誌の裏話にいる紫耀くんもどこまでも気遣い屋さんで面白くてかわいくて、カメラの前だけじゃない、一緒にお仕事する人にも誰に対しても思いやる気持ちを大切にしている紫耀くんがだいすきでだいすきで。一日を通した取材たちのなか、時間で区切られていくとき、忙しいのはずっと答えつづける紫耀くんもなのに「聞きたいこと聞けましたか?」と相手に声をかけられるところ、本当にすごいなぁと思う。あのコロナにかかってはいけない緊張感もお仕事の忙しさもプレッシャーもたくさんたくさん背負った24時間テレビの最後の最後で深くお辞儀できるところも本当にすごい。

 

そんなたくさん頑張ってくれた夏のコンサートの最後の最後にたった3文字。虫を載せたことで少しざわついたこの世界を炎上ときしくんが称したのなら、きっとあれはもっと大きなことで。勝手な解釈が意図してない意味で伝わっていくこと。いくら気にしない術を身につけたって。Twitterをはじめて初めて知る見えない人から飛んでくる言葉の怖さ。一度言われただけでもすごく引きずってしまうのに、それが常に起こる、しかも弁解できない世界にいるんだって。考えすぎないことが大切だと思うのは考えすぎてしまうことがあって良くない方に思考が向かってしまうことがあるからで。しかもそれが寄り添いたいファンからの言葉であることがいちばん苦しい気がして。そして何か気持ちが萎えてしまう気がして。悔しかった。そして怖かった。人気になることと感情を押し込めることが比例しないといいなと思う、いつかの指輪みたいに“分かってほしい”気持ちが残っているといいなと思う。みんなの想いを汲んでくれようとする紫耀くんがだいすきだけど、好きな人だけ好きでいてくれればってどこかうまく切ることも出来たらいいなとも思う。なんてね、いろいろ心配になりながらもきっとそれをたくさん経験していろんなものを承知の上でアイドルをお仕事として選んでくれたんだろうと思うと、ありがとうの気持ちでいっぱいになる。感謝してもしきれない。いつか、大野くんがあのライブの最後でファンに向けた言葉に選んでくれた「いつも守ってくれてありがとう」。いつかいつかいつかいつかね、いろんなことを乗り越えるなかで、紫耀くんもそんな風に思ってもらえる関係性になれたらいいなぁって今も思ってる。

 

紫耀くんは今をどう思っているのかなぁ。もしかしたら紫耀くんが望んでいるのかもしれないし、そうでないのかもしれない。裏の事情は何もわからないから何をどう願えばいいのかわからなくなってしまうけれど、ただ、紫耀くんの思い描く未来に近づいてる実感があるといいなぁと思う。充実してるといいなぁと思う。紫耀くんが穏やかな気持ちで毎日を過ごせているといいなぁと思う。だいすきなひとを大切にして大切にされてるといいなぁと思う。アイドルであることが彼の人生にしあわせをもたらすものであるといいなと思う。見せたいところだけ見せてくれたらそれでいいから、どうかどうかしあわせでいてね。

 

ときどきいろんなことを心配になってしまうけれど、心配かけたいわけじゃないこともわかるから紫耀くんは大丈夫って言い聞かせる。

わたしにできることは、迷惑をかけないこと、彼自身のしあわせを尊重すること、望んでくれる限りずっと好きでいること。

いい所もそうじゃないところだって、どんな紫耀くんでもずっとずっとだいすきだから、紫耀くんがありたい自分でずっとずっといられますように。

 

生まれてきてくれて、たくさんたくさんいろんな気持ちと向き合って、今、そこに生きていてくれてありがとう。死ぬなよって変わらず届けてくれてありがとう。

 

だいすきだよ、紫耀くん。

紫耀くんがいるからわたしは今日もとってもとってもとってもしあわせです。

 

 

25歳、お誕生日おめでとう、紫耀くん。

 

 

 

“ 夢にまで見た日を 今日というその日に ”

 

 

いつか来るだろう日。

 

いつか来てほしいと願っていた日がきた。

 

 

願いながらも本当にそのときが来たらどんな気持ちになるのかは想像もつかなくてね、もともと不思議な距離感を保っていて、死に物狂いで追いかけていた10年弱。一度離れよう、と決意し冷めたわけではない気持ちを抱えながら離れたこと。結婚、子育て、紫耀くんに出会うなかで追うことはしなくなった。でも一般的なファン、よりは少し特別な気持ちを抱いた、不思議な距離感。今は恋に似たすきの気持ちは持ち合わせていないけれど、いちばん苦しかった時期にずっとずっとそこにいてくれた人。生きる意味をくれた人。それはもう家族みたいな、一方的だけど私にとって彼はそのくらい当たり前で大切でしあわせでいてほしいひとだった。

その彼が結婚した。

 

 

 

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白いドレスとタキシード
一緒になろうか 次の秋にも
このまま終わるとしたら 寂しいよ
だからもう 一緒になろうよ秋にも

 

今までとは違うこの今晩を
経たら先に待つどんな困難も
例え問題を抱え込んだとしても 心配など勿論ないよ
部屋より何より苗字を共にし
夢にまで見た日を今日というその日に
限りない愛を 毎夜毎夜愛を
あなたを包み込むの まるで蚕

 

庭には大きな犬がいて
娘に大きなキス抱いて
それじゃあ二人寝るとしよう
一緒に同じこれからの夢を見よう

 

父と母にまず大きな感謝を
あなたに今伝えるなら何だろう
なんかもう言葉じゃなく感謝と
I love you forever …

 

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2006年。まだまだ若かった頃、ソロコンで聴かせてくれた彼の作ったウェディングソングの一部。

 

おとといニュースをきいたとき、真っ白になった頭の中、「あ、本当に秋だ」なんてふと何年かぶりにこの曲を思い出した。

 

 

ずっとずっと家庭を持ちたいって言っていたひと。

真面目でまっすぐで礼儀を大切にする、大きな愛をもったひと、そして自分に厳しいひと。

きっと自分のしあわせは後回しにしてしまうひと。

 

わたしは当時、彼のそばにいられたらなんて願っては叶うはずのない現実に泣いたりしていたけれど、アイドルとして成功していった当時の彼にとって結婚したいと願うこともまた、おなじくらい叶うはずのない願いだったのかもしれない。

 

 

前にTwitterにも書いたことがあるけれど、戦地にいるこどもたちや理不尽なおとなたちへの想いを歌にこめたりしていた彼はずっと報道関係がやりたいと口にしていて、それが叶った2006年。今では珍しくなくなったキャスターをするアイドル。それを切り開いたひと。風当たりも強かったなか、誠実に努力を積み重ねることで得てきた信頼。(すこし距離のあった村尾さんが、君はすごい!と褒めてくれた瞬間うれしかったな)少しずつ広がるお仕事の幅。そしてオリンピックキャスター。でも本業はアイドル。ツアーだってドラマだってレギュラー番組だってある。アイドルであることが彼の夢の足枷になりはしないのかと不安に思った。いつか、今は違くてもいつか、アイドルではない自分の夢に挑戦したくなるんじゃないか。仲の良い友だちの子どもを可愛がっていること、本人も子どもがだいすきなこと、早く家庭を持ちたいと言っていること。移り変わるファンの子をよく覚えていること。ファンの子が結婚していく姿にも気がつくこと。それをみて冷静になって何を思うのか。怖かった。アイドルであることは彼のしあわせを奪うことになっていないのか。

 

でも。休止することになって、続けたい、また会える、としきりに伝えてくれて、彼のアイドルであることの誇りをすごく感じた。嬉しかった、本当に。そこにいたい、と言ってくれることがどれほどしあわせなことか。アイドルだから諦めたことだって、アイドルだから傷ついたことだってきっとたくさんあるよね。それでもそこにいてくれること。いままで届けてくれた想いたちを信じていいこと、疑わなくていいこと。それって本当にしあわせなことだと思う。どこまでもファン想いなひと。

 

結婚を知らせる言葉選びだって、どこまでもファンのため。もちろんそれがあるのが悪い訳じゃないけれど結婚の決意とか幸せな家庭を築きます、よりただただファンと周りの方への感謝。そしてさらには同時発表。どこまでもやさしいひとたちだなぁ、と思った。あぁだいすきだった人だ、と思った。

 

 

あの日、嬉しかっただろうな、しあわせだっただろうな。

なにより、彼女さん。付き合いながらどれほどの不安と痛みと戦ってきたのだろう。先の見えない不安、撮られてしまう恐怖、好き勝手噂されるSNS、他言できない苦しみ、ファンの子の夢と想い。きっと想像もできないほど。プロポーズされたとき、どれほど嬉しかっただろう。伝えることのできた彼もどれだけしあわせだっただろう。その決断ができたことがうれしい。自分の幸せを、自分の世界のしあわせを大切にしてくれたことがうれしい。今までたくさんたくさんありがとう、見えないところでたくさん悩んでくれてありがとう。

 

 

斗真くんの結婚のときは正直いうとすごくダメージを受けて(特に彼と関わりがあったわけではないのにね)、お似合いだとお祝いされる雰囲気が苦しくておめでとうを言えない自分に苦しんだりしたから、きっとその人との距離感が近すぎても遠すぎても苦しい気持ちや寂しい気持ちを与えたりするんだろうなぁと思う。わたしもきっと紫耀くんがいなかったらおめでとうを言えない自分に苦しんでいたかもしれないし、他の人だったら紫耀くんに重ねて苦しくなっていたかもしれない。ただ、わたしはとてもとてもとてもうれしい。嬉しいと思えることがまたうれしい。婚姻届を書いただろう姿も、これからいろんなしあわせな瞬間が訪れるだろうこともひとつひとつ想像しては涙が出る。これは間違いなく嬉し涙。彼はしあわせなんだ。本当にうれしい。うれしくてうれしくて涙がこみ上げるなんてなかなかない。彼を応援していたことがこんな気持ちまで連れてきてくれるなんて、わたしはあのとき彼のファンになれたこと、本当にしあわせだなぁと改めて思った。

 

 

これからだってきっと大変なことはたくさんあるだろうけれど、そこがそっと守られたあたたかい場所でありますように、と祈りを込めて。でもきっと大丈夫。守るべきものが増えた彼はきっとさらに強くなる。

 

 

どうかどうかおしあわせにね、しあわせでいてね。

 

結婚おめでとう、翔くん。

 

2021.8

 

 

今年は、いつもとは違う特別な夏だった。

 

 

本当にありがたいことにお友だちに声をかけていただいて入れることになったコンサート。

 

2年越しの夏が来た。

 

今年こそは会える夏になるはずだ(紫耀くんにもお友だちにも)!と祈りを込めて年明けから始めたダイエットは三日坊主のはずのわたしが当日までに10キロ痩せた。

 

いつもならメンカラの服なんて着る勇気ないのに、今年は違った。どうしても紫耀くんのファンであることを全身で表現したかった。うちわが見えなくても、どんなに遠くてもあなたのファンだよということを伝えたかった。

 

 

コロナも増えて開催されるのかも見えない状況のなか、大阪ではじまったツアー。

 

無我夢中でレポを漁る中で目に飛び込んできたのは 【紫耀くん ファンサマシーン】 の言葉たち。

 

大阪はよかった。

紫耀くん楽しいんだな〜たくさんの人を幸せにしてるんだな〜優しいお顔してるんだろうな〜と羨ましくもあり、微笑ましい気持ちで眺めていた。

 

でも横アリが近づいてくるとその微笑ましさは “怖い” に変わっていった。


当たり前だけれどレポに並ぶのはもらった人だけ。でもそれを見ていると、もしかしたらわたしも、、と邪な期待が浮かぶ。そしてそれを急いで自分で否定する。入れるだけで同じ空間にいられるだけでとてつもなくしあわせなことなんだからこれ以上望んじゃいけない。

 


Twitterを始めて、気持ちを文字に変換していくことで気づいたけれど、わたしは“〜すべき”がいつも先にあって頭でっかちで気持ちのままに動くことがとても苦手らしい。(といいながら意味不明な奇声を発しながら抑えきれてないことも多々あるけれど)

 


入れるだけで感謝すべき。紫耀くんはファンのことを大切に思ってくれてるからそれだけでしあわせに思うべき。幸せにしたくてファンサを頑張ってくれてるから悲しくなるべきじゃない。うんたらかんたら。近くにいてくれてる人には伝わっていただろうけれど、ファンサに囚われない!と自分に暗示をかけまくることで誰よりもファンサに囚われていた、逆にね。すきな人の視界に入りたいと願うことはあたりまえの感情なのにね。

 


当日が近づいてくるともうそれはそれは怖くて怖くて怖くて。もはやスタンドであることを祈ってた。期待することが怖くて。せっかくのしあわせな時間をしあわせだけの感情でいられなくなってしまうかもしれないことが怖くて。でも当日まで〜すべき、の暗示を自分にかけていたわたしの理性は、席に座ったところであっけなく崩壊する。お友だちの引き当ててくれた席はセンターのメインステも花道も近い、泣きたいくらい素敵な席だった。(生で聴いた紫耀くんのくちびるのぶるぶるの音は一生忘れない)


もともとファンサうちわを持つこと自体にかなり勇気を要するタイプだから、作っても持たないこともよくある。けど、持たなきゃ後悔するかもと、思った。そう思ったのはもらえるかもしれない、とやはり期待してしまったから。紫耀くんに気づいてほしいと願ってしまったから。その奇跡のチケットを譲ってもらった友だちに勇気をだしてファンサうちわ持ってもいい?と聞く。(そう聞かれたらいいよ、しか言えないじゃんね)そして聞いて、今まで必死に頭で言い聞かせてきたけれど初めてその願望を声に出した途端、びっくりするくらい涙がポロポロ出た。あぁ、私こんなに紫耀くんに気づいてほしかったんだ、とそこで気づく。認めた瞬間、めちゃくちゃ心が軽くなった。もちろんだよ、紫耀くんのファンサするお顔本当に好きなんだよね、と曇りのない優しいお顔で受け止めてくれたお友だちは本物の天使だと思った(急に泣き始めて本当にごめんね)

 

 

ファンサってなんだろう。

昔からコンサートのたびに考える。だってファンサもらったところで関係性は何一つ変わらない。ごっこあそび、みたいな。アイドルがやるべき甘い言葉が苦手、という紫耀くんの本当のところはわからないけれど上辺の言葉を並べたくないんだろうなぁとどこかで思っていて。紫耀くんの救い方はファンの子に夢を見させること、というよりももっと本質的なところに寄り添ってくれることだと感じていたから。その紫耀くんが、指輪の蓋をパカパカあけまくって、お約束通りたくさん投げちゅーして、うさ耳パタパタしてた。おいでっていっぱいみんなの好きの気持ちを受け止めてた。ひとりでも多くの人に“しあわせになってほしい” “笑顔になってほしい” の想いが強く強く伝わってきた。TLで文字でみている時とは全然違った。結果として目が合うことはなかったけれど、ファンの子に応えてその喜ぶ姿をみるお顔が本当に優しくてしあわせそうで、そのお顔みたら本当にね心の底からしあわせな気持ちになった。


2019だってファンサ頑張ってくれてるなぁとおもっていたからね、そこは変わらないんだけれど、何かが変わったの。なんだろう、上手く言えないけれど、よりファンの子に寄り添おうとする気持ちが強くなったように思う。

 

 

思えばうちわを作ってるときからしあわせだった。頭の中で紫耀くんの反応を思い浮かべては、それだけでドキドキした。いやいや頭大丈夫?と思うけれど、もし本当に全てが奇跡的にたまたま視界に入れたら、きっと紫耀くんは応えてくれるって思えたから。それは紫耀くんのすごいところだと思う。わたしがどんな容姿だろうと何歳上だろうと、きっと受け止めてくれるって思えちゃうんだよね、紫耀くんはすごい。だから目が合わなくても悲しくはならない。何回でも言う、紫耀くんはすごい。

 


今はねいつか目が合うといいなと素直に思う。

だって、好きなんだもんね。

こんなにも毎日想いを寄せて、しあわせであってほしいと願って、でもそれは願いでしかなくて、でももし奇跡が起きてわたしをみて笑ってくれたら、それが例え一瞬でも、そんなしあわせはないと思う。

ただ、その瞬間よりも、あの、ファンの子へ優しいお顔をむけた紫耀くんにまた来年もあいたいなと思う。

(その大切な記憶をおすそ分けしてくれるお友だち、本当に本当にありがとうね)

 

 

こんな年になってもファンサでモヤモヤするなんて思ってなかった。大人気なさすぎて笑っちゃうけど、またいつかTwitterの文字に圧倒されそうになってしまうことがありそうだから、ちゃんと残しておく。羨ましい気持ちも怖い気持ちも紫耀くんのあのしあわせそうなお顔みたらそんなこと、どうでもよくなること、ちゃんと覚えておいてねわたし。


 

 


たくさん頑張ってくれてありがとう。しあわせな気持ちをありがとう。


願わくはたくさんのひとをしあわせにする紫耀くんにもたくさんのしあわせが降り注ぎますように🕊‪𓂃 𓈒𓏸◌‬

 

 

あの日から。

ありのままの感情をだすことがファンを苦しくさせてると思って欲しくないから、できるだけこの気持ちをはやく消化したいと思う。でも。いまでも紫耀くんの涙はどうしたって胸が痛い。どうしたらいいのかわからないくらい‬、痛い。

 

 

公式のコメント。翌日のブログ。替え歌をしたシンデレラガール。それを鶴瓶さんに触れられた時のお顔。ツアーの初日。誓いを立ててくれたこと。たった10日で想いを口にし、時計を止めてを歌ったこと。お別れ会の日にジャニーさんに会いに行ったこと。穏やかなお顔で話していたROT。はちゃめちゃに楽しんでくれたコンサート。寝れないと言っていたこと。新潟のこと。世界への思いが強くなったこと。舞台のこと。ジャニーさんからもらった言葉をたくさん聞かせてくれたこと。

 

 

たぶんジャニーさんじゃなかったら。

これが紫耀くんの世界の大切な人だったら。ファンは何も知らずに、テキストかどこかで話してくれたときに痛みを感じるくらいで、その後はアイドルを全うしてくれる紫耀くんに、気にさせないように振舞ってくれる紫耀くんに、勝手に感じた一瞬の痛みすら癒してもらっていたんだと思う。あんなにむき出しの感情に触れることは、たぶんもうない。もしかしたら涙したことで自分をダメダメだとまた思うのかもしれないけれど、その涙でわたしはまた人間らしい紫耀くんの虜になって、応援したい気持ちが強まったのは間違いないから、何も自分を責めるようなことはなにもないし、ぜんぶぜんぶ正解だと思う。

 

でも、結局なにもわからない。泣けてよかったのかも、語っていい涙なのかもわからないし、どんなに悲しくたって、裏で涙してたって、見せてくれる紫耀くんしかわからない。全部想像してしかなくて、見せてくれる紫耀くんをみて、しあわせをもらうことが正しいってわかってるのにね、なかなかうまくいかない。

 

うー、文字にすればスッキリするかなぁと思ったけれど、結局まとまらないし、気持ちがあちこちにいっちゃって落ち着かない。好きすぎてこじらせる気持ちの消化の仕方はなんとなくわかるんだけれど、この気持ちだけはどうしていいのか未だに分からない。この一年、コンサートでも舞台でも雑誌でもテレビでも、たくさん紫耀くんの想いに触れたからかな。また来年の今日は違う気持ちかな。わたしだけ進んでしまうのかな。あ、もしかしたらわたしはこの気持ちでいたいのかもしれないって今思った。こんな悲しいことは出来ることならもう起きないでほしいと心から願うけれど、こんなふうに紫耀くんの痛みを分けてもらえることはもう後にも先にもない気がしてね。勝手にね、自己満でしかないけれど、“寄り添っていたい”のかもしれない。

 

とはいえ、どんなに寄り添いたくても、背中をさすりたくても、現実では何も出来ないこともわかっているから、幸せでありますように。大切な人を大切に出来ますように。大切な人がずっとずっとそばにいてくれますように、とひたすらに今日も祈らせてね。

 

紫耀くん。

どんなときも舞台に立ち続けてくれてありがとう。笑顔を届けてくれてありがとう。幸せにしてくれてありがとう。生きる力をありがとう。

 

どうかどうか紫耀くんがしあわせでありますように

 

 

ドームと世界のおはなし。

‪ジャニーさんとの夢はかならず叶えて欲しいって思ってる。いつか世界のどこかで“ジャニーさんやったよ!”と思える瞬間が来るといいなと思ってる。ドームで見渡す限りのペンライトの海を見て、紫耀くんのこころがあたたかい気持ちで満たされる瞬間が来るといいなと思ってる。でも怖い。世界もドームも。‬ ‪

 

彼らとの距離はいつだって変わらない。たぶんどこにいても同じ距離で近くにいるよって言ってくれる。いまだって“わたし”のことは認識していないし、それでも“ファンであるわたし”にドームでも世界でもその寂しい気持ちすら大事に汲んで寄り添おうとしてくれるはずで。ちゃんと分かってるのにね、その言葉を聞くと瞬間的にびくっとなる。お友だちとその話になるたびに涙が出そうになる。ファン失格だ。


売れてほしい、上に行ってほしい、数字で協力したいと思っているのに矛盾してる。‬紫耀くんはしあわせなはずなのに何が怖いのかってね、物理的な距離が遠くなることと、そのときにわたしの“すき”が形を変えてしまいそうなことが怖いんだって最近気づいた。

 

むかし嵐を応援していたときに、どんどん規模が大きくなっていく会場に、どんどんチケットが取れなくなるコンサートに、“トップになる夢、絶対叶えようね”の言葉に一緒に涙したはずなのに、ギブアップしてしまった。私自身の人生のタイミングもあったけれど、メンバー同士のアイコンタクトがだいすきだったコンサートも大きくなるとメンバー同士の距離は遠くなって必然的に絡みは少なくなるし、ファンサを期待することすらなくなって、暴走しがちだったMCは万人受けするものになり、上と下とでコール&レスポンスの時差が生まれ、最前だろうとどんなに近い瞬間があっても逆サイドにいけば表情も見えなくなってしまう。当たり前のことでなんでしがみつけなかったんだろうと思うけれど、当時はどうしようもなく辛かった。なのに上から双眼鏡で覗いた彼のやさしいファンサにファンの子の喜ぶ姿はやけに目に入ったりして。いつの間にかネガティブな感情がうまれてきて、だんだん“あの頃は〜”と昔を思い出す話ばかりするようになって。夢を叶えるために必死だったはずなのに、結局ついていけなくなってしまった。“すき”がネガティブな気持ちを生んでしまうことが悲しかった。

 

 


そしてね、ひたすらに追いかけることをやめたあと、ひさしぶりに当たったチケットで入った国立で。 


ーーーこんな俺らだってでもいいんだって
           こんな景色まで見られるなんて   こんなとこ来てたなんて

 

と歌いながら客席を見渡した翔くんが今まで見た事がないくらい幸せそうな顔をしていて。こんなお顔するの……と衝撃が走るくらい幸せそうなお顔で。国立でコンサートできることを初めてこころから祝福できた。10年以上も前だけれどその瞬間は今でも脳裏にやきついてる。

 


紫耀くんのすきなところのひとつでもある、コンサートで大切に気持ちを伝えてくれる最後の挨拶。ふと紫耀くんは“そこ”でどんな顔をするのだろうと考えた。紫耀くんはどんなお顔で何を語るのだろう、と考えた。そしたらね、その瞬間をどうしようもなく知りたいと思った。初めてドームに立った日。ドームツアーを終えた日。初めて世界を見た日。そして帰ってきた日、紫耀くんはどんなことをどんなお顔で話すのだろう。ひとつひとつ夢を叶えて、いろんなことを考えて、いろんなことを吸収し、成長していく紫耀くんをみてみたい。

 


うん。ドームも世界もやっぱり叶えてほしい。だからこそ代わりのきかない“今”をめいっぱい楽しみたいし、ちっぽけな私の欲で気持ちを攫われることのないようにちゃんと心構えをして、“そのとき”にはこころからおめでとうを言えるようになりたいな。


(なんだか今日はそんな日がちゃんと来るって思えたから、また弱くなるときもくるだろうから、ちゃんと今の気持ちを思い出せるように、忘れないための走りがき。読んだことで嫌な気持ちにさせてしまった方がいたらごめんなさい。)