ドームと世界のおはなし。

‪ジャニーさんとの夢はかならず叶えて欲しいって思ってる。いつか世界のどこかで“ジャニーさんやったよ!”と思える瞬間が来るといいなと思ってる。ドームで見渡す限りのペンライトの海を見て、紫耀くんのこころがあたたかい気持ちで満たされる瞬間が来るといいなと思ってる。でも怖い。世界もドームも。‬ ‪

 

彼らとの距離はいつだって変わらない。たぶんどこにいても同じ距離で近くにいるよって言ってくれる。いまだって“わたし”のことは認識していないし、それでも“ファンであるわたし”にドームでも世界でもその寂しい気持ちすら大事に汲んで寄り添おうとしてくれるはずで。ちゃんと分かってるのにね、その言葉を聞くと瞬間的にびくっとなる。お友だちとその話になるたびに涙が出そうになる。ファン失格だ。


売れてほしい、上に行ってほしい、数字で協力したいと思っているのに矛盾してる。‬紫耀くんはしあわせなはずなのに何が怖いのかってね、物理的な距離が遠くなることと、そのときにわたしの“すき”が形を変えてしまいそうなことが怖いんだって最近気づいた。

 

むかし嵐を応援していたときに、どんどん規模が大きくなっていく会場に、どんどんチケットが取れなくなるコンサートに、“トップになる夢、絶対叶えようね”の言葉に一緒に涙したはずなのに、ギブアップしてしまった。私自身の人生のタイミングもあったけれど、メンバー同士のアイコンタクトがだいすきだったコンサートも大きくなるとメンバー同士の距離は遠くなって必然的に絡みは少なくなるし、ファンサを期待することすらなくなって、暴走しがちだったMCは万人受けするものになり、上と下とでコール&レスポンスの時差が生まれ、最前だろうとどんなに近い瞬間があっても逆サイドにいけば表情も見えなくなってしまう。当たり前のことでなんでしがみつけなかったんだろうと思うけれど、当時はどうしようもなく辛かった。なのに上から双眼鏡で覗いた彼のやさしいファンサにファンの子の喜ぶ姿はやけに目に入ったりして。いつの間にかネガティブな感情がうまれてきて、だんだん“あの頃は〜”と昔を思い出す話ばかりするようになって。夢を叶えるために必死だったはずなのに、結局ついていけなくなってしまった。“すき”がネガティブな気持ちを生んでしまうことが悲しかった。

 

 


そしてね、ひたすらに追いかけることをやめたあと、ひさしぶりに当たったチケットで入った国立で。 


ーーーこんな俺らだってでもいいんだって
           こんな景色まで見られるなんて   こんなとこ来てたなんて

 

と歌いながら客席を見渡した翔くんが今まで見た事がないくらい幸せそうな顔をしていて。こんなお顔するの……と衝撃が走るくらい幸せそうなお顔で。国立でコンサートできることを初めてこころから祝福できた。10年以上も前だけれどその瞬間は今でも脳裏にやきついてる。

 


紫耀くんのすきなところのひとつでもある、コンサートで大切に気持ちを伝えてくれる最後の挨拶。ふと紫耀くんは“そこ”でどんな顔をするのだろうと考えた。紫耀くんはどんなお顔で何を語るのだろう、と考えた。そしたらね、その瞬間をどうしようもなく知りたいと思った。初めてドームに立った日。ドームツアーを終えた日。初めて世界を見た日。そして帰ってきた日、紫耀くんはどんなことをどんなお顔で話すのだろう。ひとつひとつ夢を叶えて、いろんなことを考えて、いろんなことを吸収し、成長していく紫耀くんをみてみたい。

 


うん。ドームも世界もやっぱり叶えてほしい。だからこそ代わりのきかない“今”をめいっぱい楽しみたいし、ちっぽけな私の欲で気持ちを攫われることのないようにちゃんと心構えをして、“そのとき”にはこころからおめでとうを言えるようになりたいな。


(なんだか今日はそんな日がちゃんと来るって思えたから、また弱くなるときもくるだろうから、ちゃんと今の気持ちを思い出せるように、忘れないための走りがき。読んだことで嫌な気持ちにさせてしまった方がいたらごめんなさい。)