2021.8

 

 

今年は、いつもとは違う特別な夏だった。

 

 

本当にありがたいことにお友だちに声をかけていただいて入れることになったコンサート。

 

2年越しの夏が来た。

 

今年こそは会える夏になるはずだ(紫耀くんにもお友だちにも)!と祈りを込めて年明けから始めたダイエットは三日坊主のはずのわたしが当日までに10キロ痩せた。

 

いつもならメンカラの服なんて着る勇気ないのに、今年は違った。どうしても紫耀くんのファンであることを全身で表現したかった。うちわが見えなくても、どんなに遠くてもあなたのファンだよということを伝えたかった。

 

 

コロナも増えて開催されるのかも見えない状況のなか、大阪ではじまったツアー。

 

無我夢中でレポを漁る中で目に飛び込んできたのは 【紫耀くん ファンサマシーン】 の言葉たち。

 

大阪はよかった。

紫耀くん楽しいんだな〜たくさんの人を幸せにしてるんだな〜優しいお顔してるんだろうな〜と羨ましくもあり、微笑ましい気持ちで眺めていた。

 

でも横アリが近づいてくるとその微笑ましさは “怖い” に変わっていった。


当たり前だけれどレポに並ぶのはもらった人だけ。でもそれを見ていると、もしかしたらわたしも、、と邪な期待が浮かぶ。そしてそれを急いで自分で否定する。入れるだけで同じ空間にいられるだけでとてつもなくしあわせなことなんだからこれ以上望んじゃいけない。

 


Twitterを始めて、気持ちを文字に変換していくことで気づいたけれど、わたしは“〜すべき”がいつも先にあって頭でっかちで気持ちのままに動くことがとても苦手らしい。(といいながら意味不明な奇声を発しながら抑えきれてないことも多々あるけれど)

 


入れるだけで感謝すべき。紫耀くんはファンのことを大切に思ってくれてるからそれだけでしあわせに思うべき。幸せにしたくてファンサを頑張ってくれてるから悲しくなるべきじゃない。うんたらかんたら。近くにいてくれてる人には伝わっていただろうけれど、ファンサに囚われない!と自分に暗示をかけまくることで誰よりもファンサに囚われていた、逆にね。すきな人の視界に入りたいと願うことはあたりまえの感情なのにね。

 


当日が近づいてくるともうそれはそれは怖くて怖くて怖くて。もはやスタンドであることを祈ってた。期待することが怖くて。せっかくのしあわせな時間をしあわせだけの感情でいられなくなってしまうかもしれないことが怖くて。でも当日まで〜すべき、の暗示を自分にかけていたわたしの理性は、席に座ったところであっけなく崩壊する。お友だちの引き当ててくれた席はセンターのメインステも花道も近い、泣きたいくらい素敵な席だった。(生で聴いた紫耀くんのくちびるのぶるぶるの音は一生忘れない)


もともとファンサうちわを持つこと自体にかなり勇気を要するタイプだから、作っても持たないこともよくある。けど、持たなきゃ後悔するかもと、思った。そう思ったのはもらえるかもしれない、とやはり期待してしまったから。紫耀くんに気づいてほしいと願ってしまったから。その奇跡のチケットを譲ってもらった友だちに勇気をだしてファンサうちわ持ってもいい?と聞く。(そう聞かれたらいいよ、しか言えないじゃんね)そして聞いて、今まで必死に頭で言い聞かせてきたけれど初めてその願望を声に出した途端、びっくりするくらい涙がポロポロ出た。あぁ、私こんなに紫耀くんに気づいてほしかったんだ、とそこで気づく。認めた瞬間、めちゃくちゃ心が軽くなった。もちろんだよ、紫耀くんのファンサするお顔本当に好きなんだよね、と曇りのない優しいお顔で受け止めてくれたお友だちは本物の天使だと思った(急に泣き始めて本当にごめんね)

 

 

ファンサってなんだろう。

昔からコンサートのたびに考える。だってファンサもらったところで関係性は何一つ変わらない。ごっこあそび、みたいな。アイドルがやるべき甘い言葉が苦手、という紫耀くんの本当のところはわからないけれど上辺の言葉を並べたくないんだろうなぁとどこかで思っていて。紫耀くんの救い方はファンの子に夢を見させること、というよりももっと本質的なところに寄り添ってくれることだと感じていたから。その紫耀くんが、指輪の蓋をパカパカあけまくって、お約束通りたくさん投げちゅーして、うさ耳パタパタしてた。おいでっていっぱいみんなの好きの気持ちを受け止めてた。ひとりでも多くの人に“しあわせになってほしい” “笑顔になってほしい” の想いが強く強く伝わってきた。TLで文字でみている時とは全然違った。結果として目が合うことはなかったけれど、ファンの子に応えてその喜ぶ姿をみるお顔が本当に優しくてしあわせそうで、そのお顔みたら本当にね心の底からしあわせな気持ちになった。


2019だってファンサ頑張ってくれてるなぁとおもっていたからね、そこは変わらないんだけれど、何かが変わったの。なんだろう、上手く言えないけれど、よりファンの子に寄り添おうとする気持ちが強くなったように思う。

 

 

思えばうちわを作ってるときからしあわせだった。頭の中で紫耀くんの反応を思い浮かべては、それだけでドキドキした。いやいや頭大丈夫?と思うけれど、もし本当に全てが奇跡的にたまたま視界に入れたら、きっと紫耀くんは応えてくれるって思えたから。それは紫耀くんのすごいところだと思う。わたしがどんな容姿だろうと何歳上だろうと、きっと受け止めてくれるって思えちゃうんだよね、紫耀くんはすごい。だから目が合わなくても悲しくはならない。何回でも言う、紫耀くんはすごい。

 


今はねいつか目が合うといいなと素直に思う。

だって、好きなんだもんね。

こんなにも毎日想いを寄せて、しあわせであってほしいと願って、でもそれは願いでしかなくて、でももし奇跡が起きてわたしをみて笑ってくれたら、それが例え一瞬でも、そんなしあわせはないと思う。

ただ、その瞬間よりも、あの、ファンの子へ優しいお顔をむけた紫耀くんにまた来年もあいたいなと思う。

(その大切な記憶をおすそ分けしてくれるお友だち、本当に本当にありがとうね)

 

 

こんな年になってもファンサでモヤモヤするなんて思ってなかった。大人気なさすぎて笑っちゃうけど、またいつかTwitterの文字に圧倒されそうになってしまうことがありそうだから、ちゃんと残しておく。羨ましい気持ちも怖い気持ちも紫耀くんのあのしあわせそうなお顔みたらそんなこと、どうでもよくなること、ちゃんと覚えておいてねわたし。


 

 


たくさん頑張ってくれてありがとう。しあわせな気持ちをありがとう。


願わくはたくさんのひとをしあわせにする紫耀くんにもたくさんのしあわせが降り注ぎますように🕊‪𓂃 𓈒𓏸◌‬